ブラックドメイン(Black Domain)
「外界」よりも外側の、未知の領域。
イメージ:
https://gyazo.com/63427ea6a68275f06852ce93dadcdc21
概要
アロセントリック vs エゴセントリック
人間は通常アロセントリック的であり、常に相対的に行動する。周囲(便宜上外界という)がどうなっているかを見た上で、それらとの違いや距離を意識した振る舞いをする
学術的には空間認識のやり方として語られますが、私は認知全般に適用できると思っていますsta.icon
一方、ASDなど一部の者はエゴセントリック的であり、常に絶対的に行動する。外界は気にせず、自分との違いや距離を意識した振る舞いをする。
学術的には健常者はアロとエゴの使い分けができて、ASDはそれができずエゴしか使えないと語られることが多いようですが、私は少し違い、根底の認知の仕方がアロかエゴかに寄っていると考えます。おそらくASDはエゴに寄っていますsta.icon
例: ダンサーYouTubeとして活動する場合
通常はアロセントリックであり、既存のダンスジャンルに愚直に從ったダンスをしたり、今流行っているダンスミームを踊ったり、同様に楽曲で踊ったりする
一方、エゴセントリックはそういったことは考えず、純粋に自分がやりたいダンスや思いついたダンスを踊る
これは言い換えると、アロは外界の範囲内をうろつくことしかできないと言える
これをホワイトドメインという。つまり外界 = ホワイトドメイン
一方、エゴは外界にとらわれないので、もっと広くうろつくことができる。ホワイトドメインの外側にも行ける。この領域をブラックドメインという
ブラックドメインの意義
芸術や変革と相性が良い可能性がある
なぜならアロ――外界の住人ではたどり着けない領域で活動し、その過程や成果を出せるからである
もちろん外界を考慮しない事物は通常ゴミであり、エゴセントリックな者もおそらく無用の長物でしかないでしょう。しかし私は、外界の少し外あたりを上手く探索し、言語化して外界に持ち帰ることで革新をもたらせると考えています。このサイトでは私の知的生産物を扱っていますが、知的生産はまさにブラックドメインから持ち帰っててくる冒険の営みであるとも言えるかもしれませんsta.icon
ちなみに、(比喩的な話になりますが)外界から遠い場所で見つけたものを持ち帰ったとしても、アロには通じないと考えます。たとえば造語W1を使った造語W2をつくっても、W2はおそらく誰にも通じません。W2は遠すぎるのです。まずはW1を啓蒙するか、世の中が発展して(外界が広がって)W1も含むようになるのを待つ必要があります。そういう意味で、「外界の少し外」と表現しましたsta.icon
また、ブラックドメインから持ち帰ってきたはずが、実は外界から出れてなかったということもよくあります(自分が考えたものはすでに人類の誰かがつくっている)。外界は歴史が開拓してきたものであり、その広さは相当なのです。しかし、捉え方は違い、アロは「よほどの天才や狂人でもない限りはまず外に出れない」「お前がつくったその新しい概念は十中八九すでに誰かがつくってる」と捉えますが、エゴは「ある程度外界をインプットした上で熟考すれば結構かんたんに外に出られる」と捉えるでしょうsta.icon
参考
ASDism - アスディズム(脱文脈主義)|仕事術2.0
ブラックドメインの言語化に辿り着く前の啓蒙で、「脱文脈」と名付けています
4段階に分けています
https://gyazo.com/95b467685526ac88b7620a4a590f38b6
アロ
100人に95人
大多数はここに属する
気質的にアロセントリックなので、アスディズムを踏まえることが難しい(別の言い方をするとアスディズムの才能がない)
アゴ
100人に数人
普段はアロとして振る舞っているが、気質としてはエゴ(たとえばASDである等)
アロとして振る舞えるだけの高い知能を持っており、いわゆる高IQなASDなどはここに該当する
アロに染まっており、エゴとして振る舞うインセンティブも持たないため、アスディズムとして振る舞うのは難しい
エロ
100人に数人
エゴとして振る舞うこともでき、アロとしても振る舞えるハイブリッド
ASD的気質は持たないが、知能は高く、また自身の分野に長く深く携わっていて創造性も備えているため、アスディズムとして振る舞うこともできる(ようになる)
あらゆるジャンルでアスディズムになれるのではなく、あくまでも自身が精通したジャンルのみ
エゴ
100人に1人
基本的にアスディズムとして振る舞う
アロとしては振る舞わないため、周囲からは相手にされていないことが多い。造語が多く、統合失調症などと揶揄されることがある
十分なインプットと熟考を踏まえると、エロと同等の革新をつくれることがある。しかしエロと違って、アロ的な踏襲と貢献が少ない(あるいはない)ため相手にされづらい